対馬国

倭寇の主要根拠地の一つとされ、この倭寇討伐を目的として李氏朝鮮軍が1419年に大規模な侵攻を行い、宗氏との1ヶ月にわたる戦闘の後撤退した。

その後、宗氏は1443年に朝鮮と嘉吉条約を結んで、以後日朝間の窓口となった。

しかし、1510年には朝鮮で三浦の乱が発生。

宗氏は日朝貿易への影響力拡大を狙い救援軍を派遣するも鎮圧され、在留日本人は追放。

対馬と朝鮮の関係も1512年まで途絶する。

また、この頃少弐氏が大内氏によって大宰府を追われると、宗貞盛は九州に出兵して大内氏と戦った。

しかし、少弐氏が滅亡したので対馬に戻った。1592年、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った。

貿易収入が失われることを恐れた宗氏は戦争回避のため奔走した。

開戦後は釜山と名護屋城との中継地となった。

関ヶ原の戦いでは宗氏は西軍に付いたものの、領土を安堵された。
update:2010年02月22日